2019年11月24日日曜日

災害とTwitter

以前は守秘義務のある仕事を受けていました。

家でもまったく仕事のことを話さなかったので
私がどんな仕事をやっているのか家族は知らなかったほど。

なのでTwitterやブログなどもほぼ休止状態でした。

運送業についてや貨物トラックについては多少書いてましたが
それぞれの業務内容については一切表に出ないようにしていたのです。


それが2019年11月1日からは独立したことで
逆にPRのために頻繁に書き込むことが多くなりました。

遊びで始めた時期を入れるともう10年利用しているTwitterですが
ふと『Twitterの本というものは読んだことがない』と気が付きました。

それで諫早図書館へ行ったときに借りてみたのです。

 Twitter カンバセーション・マーケティング

『Twitterカンバセーションマーケティング(崎谷実穂著)』
一橋大学大学院教授 鷲田祐一解説 日本経済出版社


海外に比べて日本は利用率が高いこと
ツィート世界記録の話などわかりやすく書いてあります。

その中でも注目したのは70~90ページ
『災害時に役立つのはツイッター』から始まる内容です。

災害時の利用法、自治体の対応などが書いてあります。

2011年3月11日に発生した東日本大震災。

この時アメリカのツイッター社はいち早く異変に気付き
サーバがダウンしないよう対応したらしいですね。

実はそのころ私はTwitterを利用していたのです。


話は少しさかのぼりますが
私がTwitterを始めたのが2009年ころ。

主にパソコンで利用していました。

当時の携帯(いわゆるガラケー)でも利用できたらしいのですが
画像などは投稿のミスがあるためその場でアップはしませんでした。

携帯のカメラで撮影して一端家に戻り
それをパソコンに取り込んでからツイートしていたのです。

余談ですが
当時はまだ画像を直接アップするのではなく
他のアプリで挿入して表示するような方法でした。

またリツィートのボタンというものはなく
自分で『RT』というのを文章の頭につけていたものです。


当時すでにiPhoneは大人気。

ドコモさんから発売されたすぐに購入しようと待ってましたが
一向に販売されるような情報はなく。

それで仕方なくガラケー経由で使っている
というような状態でした。

その翌年2010年になって
ドコモさんがギャラクシー発売開始。

これの7インチタブレット
ギャラクシータブというのを購入しました。

今までパソコンでやっていたことが外にいてもできる
これは画期的でしたね。


それからしばらくして、東日本大震災が発生。

当時は被災地に食料や資材を届ける依頼が殺到
私も秋田県を除く東北全ての県に何度も入ることになりました。

その時、Twitterを利用して災害の状況をツイートしていたのです。
もちろん車を止めてですが。

青森県の避難所に食料を届けに向かった当時
東北道はまだ一般車両が入れない状態。

警察の検問で許可を得て入りました。

サービスエリアのガソリンスタンドは
ほとんどが閉店。

余震が多発しており山形自動車道は通行止め。

携帯やラジオで大きな揺れに注意するよう
注意報が何度も流れ。

高速道路は50キロ制限となり
警察、自衛隊、消防、救急車で埋め尽くされていました。

そんな状況をTwitterでつぶやいていたのです。

しかし、Twitterはまったく途切れませんでした。

高速道路は携帯の電波が切れないよう
アンテナがたくさん立っているという話は聞いてましたが。

また観光バスくらいありそうな携帯会社の車両が
たくさん走っていました。

こういう車のパラボラアンテナで
電波が切れないようにしているのでしょうけども。

Twitterが途切れなかったのは
ツイッター社のスタッフのおかげだったのです。

それが、この本を読んでよくわかりました。


また災害現場でつながらない携帯というのもあったそうです。

電波の入るエリアまで被災者が逃げてきてツイートしている
というのもTwitterで見かけました。

『なんとかなりませんか?』と
関係者にツィートしているのです。

これでは被災者が災害の状況を知ることができないし
助けを呼ぶこともできないですよね。


日本の携帯会社の電波は被災地でも十分入ります。
東北全ての県でツィートできましたから。

東日本大震災の時
日本の技術はすばらしいと思いました。

そしてツイッター社の尽力に
改めて拍手を送りたいと思います。
































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